地図の左 自宅が私の家(マタラム) 7/29(日曜日)に起こった北部の地震では多くの家屋が倒れて死者もでました。右上の Sembalun Bumbung ~Senaru 周辺が1回目の被災地です。
1週間後の8/5 日曜日 私が住んでいたマタラムやそのほかのエリアでは特に混乱はなく 長女の学校ではイベントが行われ 私も審査員として参加したり普通の日を過ごしました。
遠方からやはり審査員として参加してた 先日(9/27)船の引き上げに参加してくれた みどりさんがイベントのあとに我が家に泊りに来ました。オットと次女、末娘の3人は常連のお客様が最終日だと一緒に食事をしましょうとスンギギに食事に出かかけていました。
日曜日のNHKの大河ドラマを見て(ロンボクは19-19:45) しばらくたったその時
がたがたがたっ!
という大きな音とともに けっこうな揺れの地震 横揺れが長く続きました。
しかし阪神大震災を経験している私には けっこうな揺れやけど あれほどではないなーという感想、、、1分以上は揺れたような気がします。そしてしばらくして停電、、、。
一緒にいたみどりさんと けっこう大きかったね、という話をしていたその時。
みどりさんの電話が鳴ります、顔色が変わる 「家が全壊した」というご主人からの連絡!!彼女の家は島の北西部 ギリへの玄関口の近くの町です。この2回目の震源地がみどりさんの家からほんの数キロ北のエリアでした。
地震とともに 停電となり真っ暗で見えないが家がなくなってしまったよーという悲痛な内容でした。 すぐに帰る!という みどりさん こんな時間にどうやって帰る???
そうこうしている間に今度は表が騒がしくなります、「津波警報発令」
もう ここでパニック、、、なんで?そんなレベルの揺れではなかった 心の中で叫ぶも
「なにしてるんですか京子さん! 逃げますよ!」という みどりさんの声で我に返りました。
神経衰弱の私は当時自分ではちゃちゃっと動く思考能力も欠如。彼女がいてくれてやっと動けるありさま。自分ちのほうがよっぽど大変なのに冷静に状況を判断して 私たち親子を誘導してくれました。
津波、、、、私の家は直線距離で海岸から1キロありません(汗)
もたもたしながらもやっと車に乗り みどりさん 娘と三人で家を出るも すでに家の前の通りは逃げ出す人の車で大渋滞でした^^;(この時点でもう地震から30分は経過)
つづく
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